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考えごと「自己愛に溺れる」

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今まで、自分も含めて何人もの親子関係を見て来ました。

お客さんにも、親の立場の方も来られますが、親子で来られている方もいます。

親は

「私は子供を愛しています。」

と言います。

そして、親なりに色んなことを考え、色んなことをしてあげます。

でも、そのほとんどが親の自己愛だったりもします。

本当に子供のことを見ていない。

本当に子供の心を見ようとしていない。

子供の未来を見て、導いてあげられていない。

その原因は、「自分がこうしたいから。」「自分と子供の関係はこうでありたい」「この思いは、私の子供に対する愛なのよ」という思いが根底にあったりします。

親が自分を愛しすぎるがゆえに起こってしまう現象です。

親がどういう思いを持ち、どういう心の状態で子供と接しているか、それは子供を見たら何となくわかることもあります。

なので昔は、「親の顔が見たい」という言葉があったのかもしれません。

親で無くても、結婚をされていない方にも、こういう傾向を持った方がいます。

「自分は、世の中のためにこういうことをしています。」

本当に、世の中はそれを欲しているでしょうか?

何かしら商売を始めようとしている人には、これはあからさまに売上に反映されます。

「本当に良い商品なんです!この商品で世の中の人が幸せになると思うんです。」

本当に、世の中はそれを欲しているでしょうか?

無料ならもらうけど、お金を払ってまでは必要としない。

もし売れなければ、「その程度しか人は求めていないのだ」ということが明確になります。

実は、自己愛に溺れているかどうかは、本人でもわかりづらいものです。

そして、その自己愛を押し付けられている側も、その時はそれが愛だと思いこまされてしまっていることが多々あり、その愛から離れた後にようやく「あれって自己愛を押し付けられていたんだ…」と気づくことができます。

本当に与えるべき愛とは、

その人が自立できるように、自分で考えることができるように、成長できるように、言葉や行動の責任を取ることができるように、任せること。

「可愛い子には旅をさせろ」なんていう言葉がありますが、その人の成長を心から願うからこそ、成長のために少し距離を置いたりするものです。

そう考えると、自己愛に溺れて誰かと接してしまうと、その相手の才能や実力、その誰か人生に大きなチャンスが舞い込む可能性を小さくしてしまっている可能性がありますね。

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