考え事「女として求められる事と母として求められる事」

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女として求められる時の波動と、母として求められる時の波動の違い。

 

女として求められる時、弱くならなければ女として求められない。

女として求められる時には、愛されている証が欲しいのだ。

だから、養われる事を望むし、守られること、優遇されることを望む。

だから、自分よりも幸せそうな人を見ると、競争心が出てきたり、嫉妬心が出てきたりする。

「愛」が与えられている証拠が欲しくて欲しくて、どうしようもないのだ。

 

逆に、強い女は養われなくても生きて行けるし、守ってもらわなくても、優遇されなくても大丈夫。

だから、弱くいられない女は、男の闇の感覚から(守っている、養っている、優遇している、という男の優越感をくすぐらないから)敬遠される。

 

だが、母は強い。

女は「男から守ってもらわければ生きて行けない」と、か弱い自分をアピールするが、母は一人で子供を命がけで守れる強さを持っている。

母の波動は、頼もしい。

背中を押される感覚がある。

 

逆に女の波動は、闇をくすぐる。

「愛が欲しい」という強い思い、愛を求める力が強いためか、ものすごく吸引力がある。

この吸引力には、男性も女性もやられてしまう時がある。

 

母には吸引力は無い。

なぜならば、愛を与えてもらわなくても、自分の中にたっぷりあることを知っているから。

だから、愛を与えられる。

少し厳しいと感じる時もあるけど、可愛い子にこそ旅をさせる。

失敗をしたとしても「大丈夫。頑張れ。」と送り出してくれるような感覚。

 

ここで言っておかなければいけないことは、「女として求められる波動が悪い」という事を言っているわけではありません。

養われること、守られること、優遇されることで、「私はこれだけ愛されている」という証拠をたくさん集めることを指標とする世界でレベル高く生きていく方がダメージを受けづらい世界もありますから。

そういう次元に住んでいるのであれば、仕方ないでしょう。

 

ただ、本気でライトワーカーとして、人を光の方へと導く使命があるのであれば、愛を欲することを辞めにしないといけないですね。

女の部分(女として求められること)を天に捧げ、強き女にならなければ、内に眠る光が大きくなるはずもありません。

人々を光の方へ導くことなどできません。

もういい加減、その弱さに決別をしなさい。覚悟を決めなさい。

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