依怙贔屓(えこひいき)という現象が生まれるのは、ごく自然なこと

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先日、「どんなものにも限りがある」ということを書きました↓

限りがあるからこそ、与えられたチャンスに感謝できる。「ありがたい」と思える
誰にでもチャンスは与えられています。 平等に。 ですが、その与えられたチャンスに対して、心の中の光の認識で受け取るか、心の中の闇の認識で受け取るかで、そのチャンスを活かせるかどうかが決まってきます。 闇の認識は、与...

チャンスは平等に与えられている。

それを書いた上で、依怙贔屓(えこひいき)のことを書いてみたいと思います。

 

この世の中で生きて行くにあたり、依怙贔屓をする人は嫌われます。

ですが、依怙贔屓は、自然と起こる現象なのでは?とも思います。

 

先日の記事でも書きましたが、どんなものにも限りがあります。

与えられるチャンスも、ずっとは続きません。

世の中は変化して行くし、より最適化されるため、以前のチャンスは消えて行く。

そして、新しいチャンスが生まれ、与えられる。

そこで、チャンスを活かせる人は、どんどんチャンスを受け取れるため、誰かの差し伸べた手を掴み取ることができます。

ですが、チャンスを殺してしまうようであれば、もうその人に誰も手を差し伸べることはできません。

 

そんな時に、依怙贔屓(えこひいき)という現象が生まれてくるのかもしれません。

 

この自然と起こる現象、天界のサポート自体がそうなんですね。

一応は、「君なら大丈夫!頑張れ~!」と応援されているとして、それを「よし応援されてる!頑張ろう!」と受け取れるか、「うるさい。何もしてくれないくせに。」と受け取るか。

その心の受け止め方の時点で、依怙贔屓という現象は起こっているのではないではないでしょうか。

 

僕も、アドバイスはしませんが、応援はします。

何か成長するための、きっかけを提案をすることもあります。

それは、人の変化や成長するのが、とても楽しいと感じるからです。

自分が変化し成長をして来たことが、とても楽しかったという実感があり、その感覚を共有できる仲間が一人でも二人でも増えることを望むから、それを楽しいと感じています。

 

ですが、その応援も受け取る人と、受け取らない人が実際にいます。

そこで、自分の中で、「楽しい」「楽しくない」が分類されます。

 

僕は「楽しい」を優先したいと思うため、応援を受け取ってくれる人に対して優先的に手を差し伸べることをします。

これが結果的に、依怙贔屓になってしまう。

これはもう当たり前のことというか、自然なこと。

 

僕は、今年から「人を導くということを辞める」ということを書きました↓

2020年は、すごい年だった…
さて、今年もあとわずかになりましたが、皆さんは2020年を振り返っていかがでしたでしょうか? 2020年は、新型コロナという意味でも、誰もが不安や恐怖や怒りに満ちてしまいがちだった年でした。 飛び交っていた人の意識の影響もすごか...

 

導くということを辞めますが、楽しいことはどんどんやって行きたいと思います。

導くことをしていた去年までは、「受け取る人も、受け取らない人も、あくまで平等に導く」という感覚だったのですが、それでは僕が楽しくない。

「頑張れ~」と応援しても、「うるさい」と思う人には、何を言っても無理なんです。

楽しくないことをやっていてもストレスを抱え、すり減らしてしまいます。

 

去年の年末のリーディングで、印象に残っている言葉があります。

メリアさんが言ってくれた「すり減らさないこと」

僕は、応援を受け取れない人を無理に導くことは、ストレスを抱え、すり減るので辞めます。

ですが、応援を受け取ってくれる人と感覚を共有するのは、とても楽しいと感じるので、どんどんやって行こうと思います。

 

人がどうこうではなく、自分が楽しいと感じるかどうかを選択します。

だからこそ、今年は依怙贔屓の現象が、もっと顕著に出てくるのではないかなとも感じています。

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